2200人の外国人ゲストを案内してわかった中銀カプセルタワーの凄さ
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円窓のついた長方形が
ジェンガのように積み重なったグレーのビル。
なんだか年季入ってますね。
今年は新型コロナウィルスによる入国制限で
ほとんどツアーができていませんが
これまで約3年間、
中銀カプセルタワー保存・再生プロジェクトの一員として
毎週定期ツアーに多くのインバウンドゲストを案内してきました。
世界中から注目されるこの建物、一体何がそんなに凄いのか?
人々はなぜ集まるのか?
ガイドの目線から解説していきたいと思います!
目次=================
最後に
==========================
まず早送りでこの建物を解説していきます。
首都高はさんだ汐留ビル群の反対側、
二度見せずにはいられないルックスのこのビル。
名前は中銀カプセルタワーといい、
1972年に建てられた築48年のワンルームマンションです。
設計は六本木にある波打つガラスが美しい
国立新美術館の設計でも知られる、黒川紀章。
外観からはうっすら廃墟感が漂いますが、
バッチリ現役、今日も元気に使われています。
本来の目的である住居として利用されながらも
オフィスやホビースペースなど多目的に使われ
最近ではお試しでカプセル生活を体験できる
マンスリー賃貸カプセルが好評です。
遠くから見ると仕組みが
よくわからないかもしれませんが、
このビルには10㎡の箱(部屋)が140個くっついています。
上部に目をやると角のようなものが二つ飛び出ていますが、
その空間の中にはエレベーター、
そしてエレベーターに巻き付くように
螺旋階段がぐるっと回っています。
カプセル(部屋)はその外壁に
くっついているイメージです。
とうもろこしの芯に実がついたような状況で、
箱の一辺だけでカプセルの全比重、
およそ4トンを支えています。
子供のレゴ制作のような、
一見無理のある なかなか大胆なデザインです。
こんな変わった建物ができた1972年頃、
日本はどんな様子だったのでしょう。
©︎takato marui CC BY-SA 2.0
1960年から日本は高度経済成長期に突入。
東京オリンピック開催、新幹線開通、大阪万博大盛り上がり、
アポロ11号の月面着陸、環境問題も議論されるようになりました。
急激な社会の変化と共に提唱された 日本初の建築思想、
それが「メタボリズム」でした。
メタボリズムとは「新陳代謝」のことで、
体の中の細胞が生まれ変わるように、
街や建築も環境や社会状況によって変化していくべきだ、
という考え方でした。
その考え方を建物に応用し、中銀カプセルタワーも
カプセルを約25年ごとに新しいものに取替えて
半永久的に使うことができるマンションとして
銀座に登場します。
なんなら別の街に引越しの時はカプセルごと、
なんてことも構想にあったのが面白いです。
では、そのコンセプトに基づいてこの48年間で
カプセルは何度交換されたのでしょうか?
答えは 0回。
交換ができなかった背景には
簡単に取り外せない構造的な問題と
カプセルオーナー達から修繕への賛同を十分に得られなかった
という理由がありました。
「一度も交換できていない」とお話しすると
「失敗作だね」と言われることもある中銀カプセルタワーですが、
どちらかというと建物の失敗というよりも、
権利が複数に渡ったことでうまく交換できなかった、
ということの方が原因として大きいのです。
交換が予定通りいかなかったことで
メンテナンスがうまくできず老朽化が進んでいます。
ここ10年間 建て替えの話がチラホラと聞かれながらも
今もなんとか踏ん張っています。
英語、中国語でのカプセルタワー見学ツアーは
毎週木曜日に開催され、
世界中から熱い中銀カプセルタワーファンが訪れます。
(2020年10月15日より、グループツアー再開します)
学生からリタイア世代まで、
建築の専門家からなんの前情報もない人まで
ワクワク感いっぱいの表情でビルの入り口に集合します。
今までの彼らの感想や反応も踏まえて、
私たちが感じるカプセルタワーの磁力のもと3つを紹介します。
エレベーターを上り、重い扉を開けて
青いカーペットの部屋に足を踏み入れると
そこは異空間。
1970年代、人々が想像した未来の世界に
タイムスリップします。
当時の最先端テクノロジーの揃ったインテリアは
レトロながらとても未来的で
当時の宇宙への憧れを感じます。
この未来感は日本人だけでなく
海外の方にもしっかり伝わるようで
みなさん嬉しそうに写真を撮ってらっしゃいます。
SONY製品の横にはカプセルタワーの象徴、円窓。
普通の家庭ではまず見ない大きすぎる窓です。
開く時は内側に開くので場所もそこそこ取ります。
10㎡というと畳6畳程度ですが、
バスルームがあるので実際使える広さは
4畳くらいでしょうか。
ミニマリストの走りとも言えるこの部屋
シンプルな収納がありますが、
かなり上級者向けです。
また思った以上に部屋が静かなところも
一層パラレルワールド感を高めています。
見学する機会があったら是非30秒だけでも
一人だけでカプセルの部屋を体験してみてください。
エレベーターを上り、重い扉を開けて
青いカーペットの部屋に足を踏み入れると
そこは異空間。
1970年代、人々が想像した未来の世界に
タイムスリップします。
当時の最先端テクノロジーの揃ったインテリアは
レトロながらとても未来的で
当時の宇宙への憧れを感じます。
この未来感は日本人だけでなく
海外の方にもしっかり伝わるようで
みなさん嬉しそうに写真を撮ってらっしゃいます。
SONY製品の横にはカプセルタワーの象徴、円窓。
普通の家庭ではまず見ない大きすぎる窓です。
開く時は内側に開くので場所もそこそこ取ります。
10㎡というと畳6畳程度ですが、
バスルームがあるので実際使える広さは
4畳くらいでしょうか。
ミニマリストの走りとも言えるこの部屋
シンプルな収納がありますが、
かなり上級者向けです。
また思った以上に部屋が静かなところも
一層パラレルワールド感を高めています。
見学する機会があったら是非30秒だけでも
一人だけでカプセルの部屋を体験してみてください。
日本では住宅(家)の価値は土地よりも低いものとされ、
建物の消費のスピードがとても早いと言われています。
東京の街は常にどこかで新しい何かが作られ、
何かが知らないうちになくなっていきます。
中銀カプセルタワーも過去に何度も
取り壊しの危機にあってきました。
2007年に当時の中銀グループが
土地活用のために建て替えを推進。
黒川紀章事務所も修繕案を出し
存続させようとしましたが、その努力は実らず、
建て替えが決まったニュースは世界中に衝撃を与えました。
ついにカプセルタワーがなくなるのか…と思った矢先、
リーマンショックにより建て替え担当の建設会社が倒産。
それによりなんと決議が白紙に戻り、存続することに!
「今も残っているのはそれが理由!?」と驚かれるポイントです。
東日本大震災も大きな台風も何度も経験しました。
カプセルの部屋がアトラクション並みに揺れたことは
想像にかたくありませんが、大きな被害はなし。
カプセルも一度も落ちてません。
2020年は新型コロナウィルスの影響により
世界の経済活動にも大きな影響がありました。
今でも建て替えの危機にあることは変わらず、
今後のカプセルタワーがどうなっていくのか
誰にもわかりませんがこの運の強さにぜひ期待したいです。
時代に求められ、不可能な夢が形になったような建築。
その夢を体感できる夢のようなビル。
何年にもわたる憧れを胸にやってくる
カプセルラバーたちの中銀カプセルタワーへの思い入れは
並大抵ではありません。
カプセルに入るなり、涙目になる人、
東京に行ったら絶対に行くと決めていたという人や
パートナーの誕生日にサプライズでツアーを予約する人。
彼らにとってはここに来ることが一大イベントなのです。
そんな夢の空間に入った時の
ささやくような ”wao”と、ぱぁぁっと明るくなる表情。
気になっていたバスルームの扉を開ける瞬間。
憧れの円窓。
一瞬一瞬をとても大切にされているのがよくわかります。
ファン達の夢はこの建物がコンセプト通りメタボライズすること。
「カプセル交換することになったら何する?」の質問をすると
「今のデザインがとても好きだからオリジナルに忠実に再現する」
という声が多いものの
「カプセルにアーティストのギャラリーを作って人々が自由に出入りできる環境にする」
「新しいカプセルのデザインに携わりたい!」
「壁を打ち破って隣のカプセルと繋げる!」
「カプセルにカフェを作る」
と、変化することが許される建築だからこその夢が広がります。
ツアー中に建て替えの話をすると
「こんなに素晴らしい歴史を語る建築が残っている東京が羨ましい。」
「世界中どこに行っても見ることができない作品なのだから 後世にしっかり残すべき」
と文化財保存先進国からのゲストから、毎回エールが送られます。
海外の方からしたら、
「小さい頃から近所にあって慣れ親しんだ」
というような建築ではないにもかかわらず
愛着と親近感を持たれているカプセルタワー。
こんなに世界中から愛されたマンションは
かつてあったでしょうか。
ゲストからの暖かいコメントに背中を押されます。
全てにおいて大きな変化を求められている今の状況で、
中銀カプセルタワーの幸運はこれからどこに導いてくれるのか。
ガイドチームとしてサポートできることを
引き続き探っていきたいと思います。
Showcase Tokyo代表 全国通訳案内士(英語)
子供時代を建築の街シカゴで過ごす。
7年間の豪旅行会社でのツアーリーダーとしての修行を経て、フリーランスに転向。
2014年から都内でインバウンド向け建築ツアーをスタート。
好きな建築:国立新美術館、レーモンド自邸、浜松市秋野不矩美術館、ダム全般
今年の目標:また山登りできる筋力をつけること(富士山の山小屋がたまに恋しくなる)